JRPGの進化について

http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1231044781/127n-

127 :名無しさん必死だな:2009/01/05(月) 20:16:39 ID:E/ext7q70
RPGのゲームとしての根本的な面白さとは、LVやお金の工面すること
自分の育てたキャラクターの技能を駆使して強敵を倒す気持ちよさ


などの数字とのにらめっこすることだからね


DSの場合、押し付けがましいシナリオより、これらのゲームとしての面白さを
前面にだしているタイトルが増えているのは面白い状況だよな


128 :名無しさん必死だな:2009/01/05(月) 20:29:30 id:ZNFqmZIj0
>>127
まあ字義を考えれば、それのどこが「RoleをPlayするGame」なのかという疑問はあるところだけど、
実際のところ日本のRPGはそのとおり
「ムービーとストーリー付き育成シミュレーション」とでもいうべき発展をしてきたのは
間違いないところだわな。
ある意味テーブルトークからの進化としては面白い形ではあるが。


DSってのはある意味残酷なハードで、容量や性能のせいで飾りが効かない分、
そういったところで勝負するゲームを出すよりなかったりして
逆にそういうゲームが据置の大作JRPGと根本部分で違わないことがばれてしまったり。


ヴェスペリアとハーツを同時期にやって、
「360版ハーツ」も「DS版ヴェスペリア」も、その姿をいとも簡単に思い浮かべられてしまったのは俺だけでいい。
Fallout3やマリギャラや無双5を原形を保ったままDSでなんて想像の余地すらないのにね。


132 :名無しさん必死だな:2009/01/05(月) 21:02:15 ID:E/ext7q70
>>128
JRPGに関して言えば、良くも悪くも根本的な面白さは変ってないよな
外装が変って魅せ方がリッチになったけど、実際にしている事はまったく一緒という
モノよってはリアルになったせいで、出来る事が減ったり、テンポが悪くなったり等も……


RPGに限った事じゃないけど、現在携帯ゲーム機が主流なのは、
根本的な面白さは変らないなら、何時でも何処でも手軽に遊べる方がいいて事なんだろうね


137 :名無しさん必死だな:2009/01/05(月) 21:51:50 id:TmNmYTnu0
>>128
>実際のところ日本のRPGはそのとおり
>「ムービーとストーリー付き育成シミュレーション」とでもいうべき発展をしてきたのは
>間違いないところだわな。
>ある意味テーブルトークからの進化としては面白い形ではあるが。


このジャンルの祖とも言うべきWizが、テーブルトークRPGから育成要素と戦闘(とマッピングw)のみを抜き出したものだから、
そこからの進化とすれば正当なものではあると思う。


国内のコンピュータRPGが、「テーブルトークから進化したもの」ではなく「Wizとウルティマからの進化したもの」であることが、
いわゆるJRPGが今のような形になった原因なんじゃないかなぁ。


138 :名無しさん必死だな:2009/01/05(月) 22:12:43 id:OFKhDprQ0
テーブルトークにしても、現在の日本とアメリカじゃ内容が違いすぎるしね。
いや、言うほど現在の海外TRPG事情は知らんけど、日本国内に限定すれば
F.E.A.R系のキャラクター重視のスタイル、ぶっちゃければJRPGの文法を
そのまま持ち込んだ物が主流になってる感が強いし。
ソードワールドのSNEもすっかり元気がなくなっちゃったしな。


「ロールプレイング」の定義の違いが全ての発端なんだろうな。
原典が「役割(職業)をつとめる」といった意味合いなのに対して、日本の場合は
「キャラクターを操る」といった意識が強くなりすぎたまま、隔絶が大きくなりすぎた。


142 :名無しさん必死だな:2009/01/05(月) 22:32:56 id:ZNFqmZIj0
なんというか、海外の感覚だと、Wizやウルティマにおいて
テーブルトークの自由度というか、「RoleをPlayする」点というか、プレイヤーの脚本編集権というか
そういったものを外したのは「ハード制約上やむなく」であって
それらは「ハードが進化して制約がなくなれば真っ先に返還されるべきもの」という意識だったんじゃないかと。
かなり初期の頃から洋RPGは自由度に対する渇望が強かった気がする。ウルティマ4とか。


そういう感覚を最初から持ってない日本の場合、「一般への最初のお手本」としてDQが投下された時点で
「プレイヤーは作り手の描いた物語をなぞるもので、脚本編集権なんてなくて当たり前」というのが常識化して
その後のRPGの進化はそういう前提で進んできたところがある。
そのうちにプレイヤーは「俳優」ですらなく「参加型視聴者」に落ち着くわけだけど。


HD機の時代になってようやく洋RPGが「長年の悲願」を実現しつつある中で
向こうの目で見れば、たとえていえば
「もう手錠は取れたのになんで日本のRPGは手を使わないのか」というような
感覚なんじゃなかろうかと。